木曜日は学校が終わるのが一週間で最も遅い。
六時間目の後に長いホームルームがあって、その後に掃除をしなければならない。部活をするやつらは練習が短くなると愚痴っている。おれは部活に入っていないが、帰宅が遅くなるので、嫌いだ。嫌だったのだが、最近は木曜日だけはすぐに帰宅しないので、どうでもよくなった。
帰り道、通学路を少し外れる。そして、公園へ向かう。住宅地の隙間にある小さな公園だ。小高い丘にあるので、そこでは町を一望できる。細長いベンチだけが設置されている。
おれが公園に到着すると、先客がいた。
「よっ。」ベンチに座っていた仙石が軽く手を上げた。
「おう。」おれも手を上げて返す。
おれは仙石の隣に座った。そのまま黙って、ぼんやりと空を見上げた。かすれた白い絵の具で描かれたような雲の群れが、ゆっくりと流れている。仙石は何もしゃべらない。仙石は遠くの景色を眺めている。
「明日は雨かな?」おれがつぶやく。
「知らない。」
「だよな。」
「何かあるの?」
「何も。」
会話が途切れる。その後はどちらかが口を開くこともなく、時間は過ぎていき、夕日の色味が濃くなった。
「そろそろ帰る。」仙石は立ち上がった。
「じゃあ、おれも。」おれも立ち上がる。
「じゃあな、田中。」
「仙石も、じゃあ。」
お互いに反対方向に家があるので、公園を出るとおれたちは別れる。
このようなことが始まったのは、二か月くらい前だ。
その日、数日前にあった初めての英語の小テストが返ってきた。英単語の問題で、十点満点。おれは〇点だった。名前は書き忘れていなかった。スペルが全て間違っていたのだ。
さすがに落ち込んだ。テストで〇点を取ったのは初めてだった。すぐにこれをどう処分するか考えた。学校で破り捨てたかったが、誰かが残骸を見つけて先生に報告するかもしれない。机の奥に隠しても、何かの拍子に見つかるかもしれない。そもそも手もとから離れていることが不安だ。家には持ち帰りたくない。部屋を掃除する親が見つけてしまうかもしれない。
結局、うまい考えは浮かばず、おれはかばんにテスト用紙を入れて、学校を出た。
帰りたくなかったが、行き場はなかった。おれの中学校は校則に厳しい。下校時は店に入ってはならない、という規則があった。学校近くの店もそれを知っていて、制服姿で入ると学校に通報する。後日、生徒指導室に呼び出されるらしい。おれはぶらぶらと歩いた。
そんな感じで行き着いたのが、あの公園だった。公園は校則で禁止されていない。おれはそこで時間を潰すことに決めた。
しかし、すぐに先客がいることに気がついた。そいつはうつむいて、地面を見つめている。前髪が顔にかかっていたが、それでもこの世の終わりのような表情をしているのは分かった。おれよりも深刻そうな様子で、さすがに心配になって、声をかけた。
「大丈夫、ですか?」
相手は顔を上げた。
「田中?」
相手はおれの名前を言った。仙石だった。
このとき、正直おれは困った。仙石とは親しくはなかったからだ。
おれと仙石は同じ小学校に通っていた。五、六年生のときに同じクラスだった。名前順で並べば前後の並びで、背も同じくらいの高さなので、背の順でも並びは変わらない。それでもグループが違ったので、ほとんど話さなかった。その後、おれたちは別の中学校に進学することになった。卒業式の後に連絡先の交換もしなかった。正直、顔を合わせるまで仙石のことは忘れていた。
だから、会話は続かなかった。おれは気まずく立ったままだった。仙石もしばらくはおれを見ていたが、徐々に目線は外れていった。しかたないから、おれはベンチに座った。すると、仙石は席を少し譲ってくれた。
「ありがとう。」おれは軽く頭を下げた。
それからも無言は続いた。
何かを話すような空気ではなかった。仙石は先ほどの暗い表情に戻っている。おれも自分のことで頭がいっぱいだった。ただ時間は過ぎて、辺りは暗くなった。
「帰るわ。」おれは言った。名案は浮かばなかった。
「ぼくも、そうする。」仙石が答えた。
おれは「そっか。」と返事して、公園の出口で別れた。
その後の一週間は変な感じだった。あの日のことを何度か思い出した。悩んでいたような仙石の相談に乗るべきではなかったか。何かしゃべって、雰囲気を明るくするべきではなかったか。自分はそっけなかったか。ぐるぐると考えて、何だか恥ずかしくなった。
とうとう我慢ができなくなって、もういちど公園へ向かった。あの日から一週間後の木曜日に。
仙石はいた。ベンチに座っていた。先週とは違い、この世の終わりのような顔はしていなかった。それを見て、おれはほっとした。
「よっ。」おれは軽く挨拶をした。
「あっ。」仙石はおれを見た。
「もしかして、毎日来てる?」おれが尋ねた。
「いや。一週間ぶり。」仙石は首を横に振った。
「そう。」
会話は続かなかった。
それから、毎週木曜日の夕方に、なぜかおれたちは公園で会うようになった。ベンチでぼんやりとするだけで、特に話すこともないのに、それは続いた。
おれたちは友達ではないと思う。おれは仙石のことを何も知らない。何が好きで、将来何をしたいのか分からない。仙石もおれのことを知らないだろう。いちどもそんな話をしなかった。それでも、この時間は悪くなかった。終わることなど考えられないくらいには。
おれが公園に着くとき、必ず仙石が先にベンチに座っていた。仙石の通う中学校のほうが公園に近いからだろう。しかし、その木曜日に仙石の姿はなかった。おれはベンチに座って、ぼんやりと空を見た。そして日は落ちた。仙石は来なかった。
次の週も同じだった。
終わったのだとおれは思った。
また木曜日がやってきた。迷った。どうするか決められず、学校が終わった。校門を出たとき、ようやく決心して、おれは通学路から外れた。
上り坂を歩いていると、首筋に汗が流れた。傾いた日差しがアスファルトに反射して、肌を焼く。蒸した空気が鼻につく。セミの鳴き声が聞こえる。あと数日で夏休みだ。
おれは公園に入って、ベンチを見た。仙石は座っていた。そこでなぜかおれは笑ってしまった。
「よっ。」
「おう。」
おれたちはいつもどおりの挨拶をした。いつもどおりベンチに座って、黙って、空を眺める。日は落ちていく。
「話さなきゃいけないことが、あるんだ。」仙石が言った。
「おう。」
「引っ越すんだ。家の事情で急に。それで二週間前からばたついてた。来週から、もう来れなくなる。」
「そうか。」
「さようならだ。」
「さよならか。」
おれたちは黙った。いつもどおりに。そして、日は落ちた。
おれたちはベンチから立ち上がって、公園の出口へ向かった。そのまま別れる、つもりだった。
「最後に聞いていい?」おれが言った。
「ここで初めて会ったとき、何か考えてた?」
仙石は困り顔で、頰をかいた。
「実はテストでひどい点を取って、テストをどう処分するか考えてた。」
「まじで! おれもだよ。英単語のだけど。」
「そうなの! 同じだよ。」
偶然がおれたちの腹をくすぐった。笑い声は影に沈む住宅地に響いた。
「何点だった? おれは〇点。十点満点で。」
「勝った。一点。引っ越しのときに親に見つかっちゃったけど。」
「おれはばれてない。かばんの中にあるぜ。」おれはかばんをたたいた。
「それ絶対に見つかるなよ。」
「もちろん。」
そして、おれたちは別れた。
帰り道、連絡先を聞かなかったことに気づいた。でも、それでよかった。おれたちにそういうのは必要ない。それから、おれは最後の仙石の顔を思い出した。あんなに気持ちよく笑えるやつだとは、知らなかった。
我楽太
2026年、第4回「青いスピン」作品募集 入選。

