高校生の頃、どうしても学校に行きたくなくて、乗らなければならない電車を見送った日がありました。学校は楽しいし、何もトラブルは起きていない。それでも、どうしても学校に向かう気持ちになれなかったのです。これ以上は進まないと足が言っているようで、高台にある木陰から、同級生たちが乗っているであろう電車を眺めていました。
思えば、中学生の頃にもそんなタイミングがありました。やはり特に理由はなかったように思います。ただ何となく、どうしても行きたくない。どう頑張っても体が動かない、という感じでしょうか。大体は冬の寒い時期で、そうなるともう自分でもどうすることもできず、母にお願いして一週間ほど休ませてもらっていました。ふだん、絶対に遅刻させないように朝起こしてくれていた厳しい母も、娘の異常事態を察したのか、休むことをとがめることはありませんでした。普通であれば学校にいる昼間の時間に、静かな自分の部屋の中にいることは、何だかとても不思議で、同時にとても落ち着く経験でした。特に何をするわけでもなく、ただ家にいて、のんびりと好きに過ごしていました。
一週間ほどそんなふうに休んでいると、来週は行きなさいよ、と母から強めに背中を押されて、また同じ学校の生活に戻る。そんなことを、一年に一度、繰り返していました。
高校生活はとても楽しくて、勉強は苦手でしたが友達はたくさんいました。私が学校へ来ないことを心配してくれる人もいたでしょう。それでも、今日だけは絶対に行かない。さぼるぞ。そう決めると、急に力が湧いてきました。思えば、自分で自分の行動を決めた、初めてのタイミングだったようにも思います。
別の学校に通う友達に連絡をして、その子の家の方に向かう、学校とは反対方向の電車に乗ることにしました。ラッシュ時を過ぎた電車はほどよく空いていて、晴れた冬の日差しがやわらかく差し込んでいます。さっきまでの自分がうそのように、気持ちは晴れやかです。
突然の連絡に友達は心配していたようで、学校を早退して制服のまま駆けつけてくれましたが、意外と元気そうな私を見て安心したと思います。少しの後ろめたさと、わくわくと、ない交ぜの気持ちを抱えて、二人で歩きだしました。友達の家のそばには海があり、水面が反射してまぶしく光っています。初めて見る景色にうれしくなり、私はここで何をしているんだろう、と急に可笑しくなりました。真っ青な冬空の下、誰もいない公園でブランコをこいだり、写真を撮ったり、たわいもないおしゃべりをして時間をつぶし、日が暮れる前に電車に乗って、何事もなかったかのように、いつもどおりに家に帰りました。私があの日、そうやって学校を休んだことを知っているのは、その友達だけです。今となっては忘れられない、大切な一日になりました。
あの頃、どうしてそんな気持ちになったのか、今となっては全く思い出せません。もしかしたら、学校生活という、決まったレールのようなものに乗り続けることが、ときどきどうしようもなく嫌になっていたのかもしれません。中学生や高校生の頃は、そのレールに乗り続けていないと、周りの人たちから置いていかれてしまう。そんな不安があったようにも思います。心や体が限界を迎えていたであろうことは想像がつくのですが、当時の自分はまだ、その気持ちを言葉にする力がなかった。そのときの自分について表現する言葉を持っていなかった。それくらい内側が混乱していたのだと思います。
つい最近、高校生の娘が、学校をさぼりたいと申告してきました。彼女も学校という場所に少し疲れてしまっているようです。いつもどおり朝、家を出たものの、何となく行きたくなくなったようで、学校に休む連絡をしてほしいと言います。私は了承したものの、こうやって親にさぼることを伝えられるなんて、と笑ってしまいました。私は母に正直に伝えることはできなかったけれど、娘は迷わず教えてくれた。そのことが何よりうれしくて。
家に戻ってきた娘に、どうやって一日を過ごしていたのか聞いてみたところ、学校の最寄り駅を通過し、気が済むまで電車に乗っていたようです。そして一度改札を出て、また家の最寄り駅まで戻ってきたとのこと。「お母さんは学校をさぼったことある?」と聞かれ、当時のことを話しました。でもどうして学校に行きたくなかったのかは思い出せなくて、友達が駆けつけてくれたことだけがはっきりと残っています。娘にとっても、自分で自分の行き先を決めた今日という日が、いつまでも心に残っていたらいいなと思います。

絵・椎木彩子
植本一子
写真家。著書に「フェルメール」「愛は時間がかかる」「さびしさについて」(共著)などがある。

