ミノルくんとぼくは保育園からの仲良しで、今年、そろって六年生になった。今日は土曜日、ミノルくんの家で遊んでいたけど、早めのお昼ご飯を食べてすぐに外へ追い出されてしまった。
近所は池と田畑と小さな森だらけ。大きなU公園で遊ぼうかということになって、池と花壇の間を抜けて、畑の中の道を行く。農業用の広い畑じゃなくて、近所の人たちがこぢんまりとやっている所だ。野ざらしの農具や肥料袋、水をためた古い浴槽がそこら中にあって、けっこう適当な感じ。
半分ほどいった辺りで、遠くから歩いてくる小さな女の子が見えた。何か言っているけど、かすれ声で聞こえづらい。近づくうちに、はっきり聞こえる瞬間が来た。
「お兄ちゃーん、どこー。」
小学校低学年ぐらいだけど、学校では見たことがなかった。ミノルくんがぼくを肘でつついて言った。
「迷子かな?」
ミノルくんは、いつもさがすものをさがしている。去年の秋分の日からだ。あの日、ぼくたちはリードを引きずって歩いている年寄りの迷子犬を見つけた。リードを取って家をさがし、近所の人に教えてもらって、とうとう飼い主さんに引き渡した。よかったんだけど、それがよくなかった。あれ以来、ミノルくんは何かをさがすことに目がなくなってしまったのだ。
ちなみに、ぼくはそうでもない。でも、困っている人がいたら協力しなきゃとは思う。だから今回、ミノルくんがすっ飛んでいくのは納得だった。
「迷子になったの?」とミノルくんが声をかける。
女の子は立ち止まった。横に、にごった水がたっぷりたまっている小さな浴槽があって、そのふちと同じくらいの高さからぼくらを見上げる。泣きべそで、への字に口を結んだまま首を振った。
「じゃあ、お兄ちゃんが迷子?」
変な質問をするミノルくんにまた首を振ってから、女の子は言った。
「かくれんぼ。」
ミノルくんは残念そうな顔をしたけど、質問は続けた。
「見つからないんだ?」
女の子はこっくりうなずく。
「もしかして、ほんとにいなくなっちゃったとか?」
女の子の顔がさらにゆがんで、ぼくはあわてて口を挟んだ。
「ねえ、どこまでとかいつまでとか、かくれんぼのルールはあるの?」
「畑のとこまで。」と女の子は答えた。「私が花壇にもどったらおしまい。お兄ちゃんが出てくる。いつもそう。」
「じゃあ、このまま行けば会えるんだ?」
女の子はまたうなずいて、そのまま振り返りもせず歩いていった。ぼくたちは立ち止まったまま、しばらくその後ろ姿を見ていた。
「迷子じゃなかったか。おしかったなあ。」
「おしいことはないけど。」
「でも、これでそのお兄ちゃんってのが出てこなかったら......。」
どうやら、まだあきらめていないらしい。とはいえ、ぼくも心配ではあった。どんどん小さくなる後ろ姿を見つめながら、お兄ちゃんが現れるところまで見届けたほうがいいんじゃないかと考え始めた。
そのとき、バシャッと小さな水音がした。
浴槽──目をやった瞬間、そのふちにごつごつした塊が二つ現れて、ヒッと声が出た。にごった水が盛り上がって、白くくずれて、外にあふれる。その真ん中からすごい勢いで、水しぶきとともに何かが飛び出してきた。
「うわ!」
近くにいたミノルくんは飛びのいて尻もちをつき、ぼくは立ち尽くした。
人間の、しかも大人だった。浴槽の中で、Tシャツからにごった水をしたたらせ、顔を何度もぬぐいながら、大きく肩で息をしている。しばらくそうした後で、ゆっくりぼくたちの方を向いた。
「サエコに親切にしてくれて、ありがとう。」
ぼくらは意味が分からず、ただその姿を見ていた。
「あ、ごめんごめん。」と相手は続けた。「ぼくが、あいつの言ってたお兄ちゃんだよ。」
「あっ。」とミノルくんが地べたから言う。「さっきの子があなたの妹──。」
「めいっ子だけどね。」
「え、じゃあ。」とぼくもおそるおそる口を開いた。「かくれんぼしてて、そこにかくれたってことですか......?」
「そうだよ。君たちも大人になったらまねするといい。」
軽く首を振ってから「服、着たままですよね?」と質問を続ける。
「見たら分かるだろ。」
「何で、そこまでするんですか......?」
「本気でやらなきゃおもしろくないからね。けっこうたいへんなんだよ。水が澄んでるからわざと底の泥をまい上げたり、鼻と口だけ出して息を吸ったり、君たちがそんな所で立ち止まるからそれもできなくなったり。」
ザバリと浴槽から上がると、はだしだった。Tシャツとハーフパンツをしぼって、離れた所にある切り株に歩いていく。スマホやサンダルが置いてあった。
「こういうヒントは出してるんだけどね。」
この世にはとてつもなく変な人がいるものだ。ようやく立ち上がったミノルくんの鼻の穴がふくらんでいるのを見てしまった。
「遊びはルールをきちんと決めたうえで楽しむものだ。ただ、決めるまでもなく絶対に守るべきルールがある。」
そこで言葉が途切れたので、ぼくは聞いた。
「何ですか?」
「人に迷惑をかけない。」
「でも。」と思わずぼくは言った。「この水をためてた人には、迷惑だと思います。」
「着眼点はすばらしい。けど、ここはうちの畑なんだ。」
返す言葉もないぼくに、相手は高らかな声で続けた。
「生きていれば、人に迷惑をかけてしまうことなんていくらでもある。それは互いに許し合ったり支え合ったりすればいい。だからこそ、遊んでるときぐらいはそうならない練習をしておこうってのが、ぼくの信条なのさ。」
「お兄さん!」
突然、ぼくの耳もとでミノルくんの大声が響いた。
「おれたちとも、かくれんぼしてください!」
それから、三人でサエコちゃんのいる花壇にもどった。
「サエコに親切にしてくれたお礼だ。」
そう言ってから、お兄さんは淡々とかくれんぼのルールを説明した。範囲はU公園の敷地内。サエコちゃんを家に送って着替えや食事もするから、一時間後の十二時五十分に公園の南門に集合。お兄さんが公園に入った後、一時にぼくたちが公園に入る。
「こちらはかくれ場所は変えない。大きな移動はしないと言ったほうが正しいかな。で、そのぼくに向かって『見ぃつけた。』と紳士的に言った瞬間、君たちの勝ちだ。かくれんぼは終了、無駄話せず即解散。いや、確認のために『まいりました。』ぐらいはこちらも紳士的に言おう。それでおしまい。どうだい?」
「分かりました。」とぼくらは言った。
「見つからない場合の制限時間は夕方五時。チャイムが鳴り始めた瞬間、ぼくの勝ち。再び南門に集合だ。」
こんなに本格的なかくれんぼは初めてで、ぼくもさすがにわくわくしてきた。
「それから、絶対のルールが一つ──。」
ぼくたちは三人同時に言った。
「人に迷惑をかけない。」
白いポロシャツを着たお兄さんが入ってから十分後、だいたい円の形をしたU公園を、南門からぼくは右回り、ミノルくんは左回りに分かれてさがした。真ん中の芝生広場にはかくれられないだろうから、東側にある散策ができる森と、西側の休憩所とかトイレとか資料館とか建物が並んでいる辺りがあやしい。
北にある小さな池で、予定していた二時にミノルくんと落ち合ったときには、しらみつぶしにさがしたせいで、すごく疲れていた。池にはショウブがいっぱい生えていて、水もにごっている感じだ。普通なら気にも留めないけど、ぼくたちは顔を見合わせた。まさかと思ったけど、ミノルくんが〈池に入るな〉の立て札を見つけて、やっと安心した。
ぼくたちは、やみくもにさがすより迷惑になることをつぶしていくほうが、お兄さんに近づけるんじゃないかと考え始めた。ちょうどすぐそばに公園マップがあった。立ち入り禁止の場所に入るのは迷惑。トイレに立てこもるのは迷惑。芝生に穴を掘るのも迷惑。遊具エリアに大人が入るのは迷惑か微妙だから、二人で行ってみた。遊んでいる子も多いし、遊具の中にも見当たらなかった。
それから、いろんな場所で迷惑について考えながら、二人で公園を一周した。広いから、三時、四時と、どんどん時間が過ぎていって、ぼくたちはまた池にもどってきた。行く所さえ思いつかず、ベンチにぼんやり座っているだけ。やっぱり、あの人にはかなわないんだろうか。あきらめかけたとき、マップの一つの場所が急に目についた。ぼくはミノルくんに言った。
「お兄さん、公園の敷地内って言ってたよね?」
西側の小さな資料館を指差す。町の歴史とか昔の暮らしとかを紹介している所だ。その中には、最初ミノルくんも入らなかった。
「この中も、敷地内じゃない?」
「でも、あそこにかくれてたら迷惑かかるよ。」
「でもさ。」とぼくは返した。「このかくれんぼって、最後に『見ぃつけた。』って言うだけで終わりなんだよ。紳士的とか無駄話をしないとか変なルールだと思ったけど、中で見つけても迷惑にならないようにしたのかも。」
「確かに。」とうなってから、ミノルくんは「でもだめだ。」と言った。「あそこ、入るのにお金かかるもん。子どもはタダだけど。」
「だからだよ!」ぼくは興奮して叫んだ。「お兄さん、人に迷惑はかけないって言ったよね。」
「ていうか、そればっかり──。」
「たぶん、子どももお金がかかるんだったらあの人はここにかくれようとはしないよ。ぼくらにお金を使わせるのは迷惑だから。でも、自分がお金を払うのは、自分の服がびしょぬれになるのといっしょだからいいんだ。人に迷惑はかけてないから。」
ミノルくんの顔が一気に輝いた。
「おれたちも、見学目的で中に入ろう!」
西に向かって一目散に走っていくミノルくんを追いかける。時刻はもう、四時三十分を回っていた。
古めかしい資料館の入り口で、走りから歩きに切り替える。受付の奥に紺色の服を着た眼鏡の人が見えたけど、入ってきたのがぼくたち子どもだと分かると興味なさそうに下を向いた。大丈夫だ。
中はしんとしていた。ガラスケースの並んだ部屋の蛍光灯は頼りない。骨とか土器とかの展示を見て進みながら、奥のさらに薄暗い部屋だとうなずき合う。そこには、昔の農家の様子が再現されている。踏み固められた土みたいな床は、意外と足音が響いた。部屋の中に家の一部が埋めこまれた感じで、木の壁に引き戸が付いている。横に〈入ってみよう〉の張り紙。
戸に手をかけると、ちょっとしか開かない。何かが引っかかっている感じだ。
「絶対この中だ。」とミノルくんはうれしそうだ。
戸を閉めきるのは迷惑な気もしたけど、もし中にいるとしたら、ぼくらが来てあせっているのかも。戸をガタガタさせながら、いよいよだという感じがした。
「ここで遊んじゃいけないよ。」
突然の低い声にはっとして振り向く。部屋の入り口に人が立っていた。向こうの部屋のほうが明るくてよく見えないけど、受付にいた資料館の人だ。
「いや、あの──。」
口ごもるミノルくんの代わりに言った。
「見学したいんですけど、開かないんです。」
「え?」と資料館の人は言った。「そこは、そもそも閉めてないはずだけど。」
「もしかして。」とミノルくんが言った。「誰かが閉じこもってるのかも。」
「そんなことはないと思うよ。」資料館の人は笑いながら懐中電灯をつけた。「この時間になると本当に暗くて、申し訳ないね。」
まぶしくて、照らされた戸に目を向ける。足音が響く。
「どれ。」大人が力をこめても、戸は開かなかった。「反対側に何かあるな。」
資料館の人は金属製の定規みたいなものを取り出して、戸のすき間に差しこんだ。それを何度か上下させると、中で何かがはじき飛ばされるような音がして戸が開いた。するりと中に入ったと思ったら、すぐに声がした。
「ははあ、誰かが戸を閉めちゃった拍子に掃除用具が倒れて、ほうきがつっかい棒になっちゃったんだ。」
ミノルくんは説明そっちのけで、戸のすき間から中をのぞき見ようとしていた。
「ちょっと君、こっちが出るからあわてないで。」
「あ、すみません。」
「あと、中の展示物には触らないように。」
ミノルくんが一応の返事をしながら入れ替わるように中に入っていくと、資料館の人のため息が聞こえた。
「ごめんなさい。」ぼくは頭を下げて謝った。
「いやいや。」その声にとげはなかった。「こちらこそ迷惑をかけてすまなかったね。あんまり時間はないけど、ゆっくり見学していって。それじゃ。」
ぼくが少しほっとした、そのときだった。
「見ぃつけた。」
さらに薄暗い戸口の奥から、ささやくようなミノルくんの声がした。
あわてて入ろうとして驚いた。戸のすぐそばにミノルくんがいて、こっちを向いていたからだ。でも、ぼくのことは見ていなかった。その鋭い眼光は何かを突き刺すように、ぼくの後ろにまっすぐのびていた。
「『迷惑』。」ミノルくんは声をひそめたまま言った。「その言葉でやっと気づきました。」
少しして、「まいりました。」と小さな声が響いた。
乗代雄介
作家。著書に「旅する練習」「パパイヤ・ママイヤ」「それは誠」などがある。










